家に帰ると自動車の音を聴きつけたポンタは
玄関に出迎えに来てくれてた。
戸を開ける前に玄関でお座りしてたりとか。
最晩年でさえ足を引きずって来てくれた時も有った。
フローリングに爪音をチャカチャカ響かせて。
時には猛ダッシュで出迎えてくれた。
満面の笑みと尻尾を激しく振って。
家に帰るとシーンとしてる。
ポンタが居ない事を思い知らされる。
ポンタの骨壺をポンポン叩いて「ただいま」と言う。
ポンタがやって来た13年前の秋。
その頃、亡くなった母と本気の喧嘩が度々有った。
口喧嘩だが、年寄りの頭の固さとボケの症状が出ていたせいか
理詰めで話しても全くラチが開かない事が多々有って
いい加減ヘキヘキしていた。
ある日、本当に切れる寸前の喧嘩が終わった際に
ポンタが部屋の隅で震えていたのを今でも覚えてる。
震えてるポンタに「お前の事じゃない、お前の事じゃない…」と
諭して何度も撫でて落ち着かせた。
ポンタが震えてる姿を見て、もうこんな事してちゃ駄目だと思った。
その後、時折の騒動や数年間の母の介護が有った時も
ポンタが居たから何とかやって来れたんだと思う。
母が亡くなった5年前
「これからは俺とお前…しっかり生きて行こ」と
飯を食うのも、寝るのも、何処かに行くのも一緒だった。
ポンタの老いが感じられ始めた1年ほど前…
ついにベッドにジャンプが出来なくなったのを見て
「お前がたとえ歩けなくなっても抱っこして散歩連れてく
寝たきりになっても最後まで介護するからな…」と決めた。
ベッドに上がりたい素振りを見せると抱っこして上げてやり
降りたい仕草を見たら降ろしてやる。
晩年は散歩で往路を歩き過ぎたら、復路は抱っこして帰った。
立ち上がる事が出来ないでいる時には胸を持ち上げるように
補助して立ち上がらせた。
寝たきりに成る事は無かったが、最後はたった一ヶ月しか
手間を掛けさせてくれなかった…
長引けばポンタ自身が苦しいだけだったかもしれない。
「ポンタ、がんばれ!」とは一度も声を掛けなかった。
ワンコは無理をするみたいだから。
声を掛ける時は「ポンタ!ポンタ!」と名前だけ呼んだ。
でも最後だけは「ポンタがんばれ!がんばれ!」と言えばよかった。
水を飲みに行こうと、よろめきながらも
自力で立ち上がって歩こうとすると思ってた。
一度は危篤を乗り越えたんだから。
俺自身も人生の岐路に差し掛かっている、ここ1~2年。
ボクの事はモウいいよ。しっかり生きろ…と態度で言われた気がする。
早く起きろ~!
散歩、連れてけ~!
飯、早く出せ~!
酒の肴、お裾分けよこせ~!
ウンコしたから片付けろ~!
お帰り…しっかり留守番したよ
駄賃におやつ( ゚д゚)クレ~!